『November 15th』
「11月15日は、」
帰路を歩きつつ、おもむろに小佐内さんが口を開いた。
「いいイチゴの日」
「聞いたことないよ、それ」
11月はいい某の日が多いな、とは思ってたけど。
小佐内さんは鞄を開いて、財布を取り出した。歩く歩幅が小さくなる。ぼくも歩みを緩めて、スピードを合わせる。
「さてここに、ペア割引券があります」
と言って財布から出てきたのは、白い紙きれだった。確かに「200円引き」と見える。
「こちら、本日15日に合わせて『イチゴのクリームシフォン』が大変お得です。ちなみに、ペアチケットとなっております」
これ見よがしに割引券をひらひらさせる小佐内さん。
「……」
「……」
ものすごくひらひらさせている。
小佐内さんの僕を見つめる眼差しがとても真剣なので、なんとなく事情は分かった。
「その『ペア』っていうのが、」
「うん、男女」
なるほど。小市民たるもの、善に努むるこそなり。
「イチゴはまだ出始めなんだよね。夏に比べたらある方だけど、旬にはちょっと早いから」
そうは言っても、机に鎮座する『イチゴのクリームシフォン』とやらには、イチゴが森のように突き刺さっている。とりあえず「へー」とだけ相槌を打っていると、
「余計なことを考えないのが、おいしく食べるコツ」
とフォローしてくれた。ぼくもそう思う。
そう言って小佐内さんはシフォンを一口、幸せそうに目を閉じる。
「んー、おいしい」
それを眺めつつ、ぼくはいつものようにコーヒーを一口。ペアで購入したケーキのもう片方は、小佐内さんの隣の椅子に安置されている。小佐内さんは味と余韻を楽しむのが流儀らしく、それに付き合うぼくも、自然とコーヒーの一口が小さくなる。
だからぼくと小佐内さんの間には、あまり会話がない。
会話がないから、どうしても考え込んでしまう。
たとえば、なぜ小佐内さんは、「安い」というだけで僕を誘ったのだろう。
小佐内さんは値段ではなく、味でお店を決めているように思っていた。だから、少し値の張る期間限定品がおひとり様1点限りでも、ぼくを連れ出してまで買いに走るのだと。
ところでお店のメニューを見ても、外の看板を見ても、『イチゴのクリームシフォン』は期間限定メニューでなければ、一押しメニューでもない。ましてやイチゴは、旬にはまだ早いのだ。
たとえば、なぜ小佐内さんは、あの割引券を今日ぼくに見せたのだろう。ぼくに用事があったらどうするつもりだったんだろうか。
あのどう見てもコピー用紙製の割引券を、小佐内さんはこれ見よがしにひらひらさせていた。オーバーリアクションは小佐内さんの小佐内さんたる一つのアイデンティティかもしれないけれど、小市民的にそれは少し納得しがたい。ところで紙をひらひらさせると、対象が動いてしまうせいでよく見えなくなるものだ。
たとえば、なぜ今まさに会計をしている小佐内さんは、ぼくのコーヒー代を奢ってくれる、だなんて言ったのだろう。
たとえば、なぜ今まさに会計をしている小佐内さんは、例のチケットを使わなかったのだろう。
たとえば、
「余計なことを考えないのが、小市民だよね」
気付けば目の前に立っていた小佐内さんは、相変わらず背が低いけれど、なぜだか、ものすごく顔が近かった。
「うん、ぼくもそう思う」
そう言うと、小佐内さんは1歩でいつもの距離感にもどって、
「大変よろしい」
といった。
小佐内さんの言うとおりに、出かかった結論は、ひとまず保留しておくことにしておこう。
他にひとまずするべきことは?
「小佐内さん、コーヒー代、いくらだっけ」
狼さん相手に、変な借りをつくらないこと。
<了>
――――2012/11/15